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2009年10月

2009年10月18日 (日)

あれっ?わたしこんなに美人だったっけ???

カコン!と、受け取り口に落ちてきた写真を、思わず食い入るように見てしまう。

友人の「プリクラとりたい〜」に誘われて十数年ぶりに収まったときのこと。パッチリとした目、顔はツルンと血色よく、表情には勢いがあり人物はキラキラと輝いて見える。
やけに変だな。
それが何だか判らずしばらく見入っていたら、友人に「美人機能」だと教えてもらう。

自分が他人の顔写真を扱うとき、言われなくてもちょっと歯を白くしたり、吹き出物、くすみ、シワなど適度におさえてやるのだが、そんな手作業を機械が一瞬にして情報処理してくれるなんて!
絶句した。

これじゃ映像ももうすぐだな。てか、すでにそうなっているでしょう?

ときおり、たくさんの履歴書を見ることがあるのだが、そこに貼ってある証明写真は、人物を見極めるのにまったく参考にならない。たいてい、写真のイメージと本人とはかけ離れていることがほとんどなのだ。

会えば、その人のたどってきた人生を、その人が獲得してきた人生の方針を皮膚感覚で見ることができる。写真には写らないそれらは、容易に人の潜在意識に伝わる。重ねればより。

Tnrt_k
本日、椎名町の金剛院というお寺さんの本堂で上演された、近松門左衛門の『曾根崎心中』を見てきた。東京ノーヴイ・レパートリーシアターの演目のひとつで、何回か見ているものだ。
http://www.tokyo-novyi.com/

わたくしが演劇を観始めたのは大学生のころから。
テレビドラマに近いようなどたばただったり、お笑いだったり、不条理ものだったり。しばらくすると、ひとしきり笑った後に沸き立ってくる空虚にのみ込まれて、具合が悪くなることが多くなったので観るのをやめた。

今日、役の人生がみえてくるというはじめての体験をした。
遊女お初はダブルキャスト。可憐な声、その姿から決意の強さをにじませるその一方は、天真爛漫でまだ幼さをすこし残していながら強い意志で進んでいく。

テレビを観なくなって2年半。
テレビというものを分かっているつもりで見ていても、かなりの影響があったと思う。事実、いまでは心も身体も軽やかだ。

何を見て、何を見ないか。
何をして、何をしないか。
強い意志で見極めなくてはならない時代になったものだ。

↓マネキンに描いた極楽浄土
Gokuraku

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2009年10月10日 (土)

名を尋ねると「モニカ」と答えた

描くときは頭の中で、その女を前から後ろから、上から下から、ひっくり返したり、のけぞらせたりしながら構想を練る。裸体の女をじっくり見ながら描くことなど、もう十年以上もしていなかったが。

昨年より、美人画の先生のクロッキー教室へポツポツと通っている。女性ヌードはもちろんのこと、男性ヌード、外国人女性の民族衣裳などいろいろな回がある。想像とはいえ、いつも女体を描いているわけだからまあまあ描けるだろうと思いきや、悲しいほどに形が取れない。がっくり。

クロッキーの面白さがわからないまま2、3回なんとなく通っているうち、ある日それはきた。その日はダンスをやっているという若い男性がモデルで、流れるような筋肉がそれはそれは美しかった。上手く描けなくて恥ずかしいとか、似せなくちゃとかそういう余計な念が入り込む隙がないほど、モデルの一瞬を逃さず描き摂ることに夢中になる。

そして本日、小柄だけど肉づきのよいキュートなドイツ人女性がやってきた。
ポーズが決まっていてカッコいい。
聞くと、アートスクールで写真を勉強していたとき、絵を描いている友達のモデルになっていたという。名を尋ねると「モニカ」と答えた。

F
初日のクロッキー:へぼへぼです
Mo
モニカ

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2009年10月 5日 (月)

死して屍拾う者無し

P10100162

図鑑や画集、実用本はながめていたが、もう十年以上、まともに“本”を読んでいない。
いや読む気がしなかった。
なんだか変なところに力が入ってヘトヘトだった。
ある人に「あなたは新幹線に乗っても、風景を見ずに本を読んでいそうだね」と言われたことも、真意をとらえられず影響していたのかもしれない。

が、それら人生の勘違いを自己流認知療法で修正しつつ、
近頃ようやく力が抜けて楽になってきたのか、
むくむくと読みたい気持ちが生まれてきた。

いい味わいの包装紙を、取っ替え引っ替えしながらカバーにする。
お気に入りは、神田志乃田寿司(からし色)。
名を失念したが、ある老舗和菓子屋のものは裏面に点線が入っていて、封筒が作れるようになっている。
が、わたしはブックカバーにしてやる!

そんなカバーにくるまれているのは『日本の名随筆』。
ある漢字一文字をテーマにして、数十編の随筆を集めた秀逸なシリーズだ。なんと全100巻。
別巻の二文字シリーズを合わせたら全200巻。
十年ほど前に読んでいるはずなのに、まるで新たに読んだかのようなものもあれば、何度も何度も繰り返し読んだのに、未だに褪せないものがある。
このシリーズは、どれを選ぶかによってその人がチラリと見えてしまう。
わたくしが手に入れているのは
『父』『母』『命』『産』『女』『狂』『虫』『顔』『葬』。

『性』がまだなのが意外(笑)。まあ後にとっておこう。
次は『死』を検討中。

死といえば。
いままでかなり身近に迫った(と感じた)時が3回ある。
はじめは小学高学年のとき。
あめ玉食い競争で粉も吸い込んでしまい、息ができなくなった(と思った)とき。
迫りくる死を、みなに伝えようと必死にもがくが、それが面白かったようで笑われる。
すぐに鼻から息ができることに気づき、安堵する。

次は高校生のとき。
田舎なもので、遮断機のない踏切がある。
普段警報が鳴っていても、様子を見つつ渡っていたのだが、
自転車通学で、たまたま友人と帰りが一緒になった。その日はあいにくの雨。
駅で電車がいつまでも停まっているから、いいか、行っちゃえとなって、友人が踏み出した直後、友人が見えなくなり、反対方向からきた電車がもの凄い勢いで駆け抜けていった。一瞬にして血の気が引き、身体がしびれてくる。まさか、明日は新聞一面?!
電車が通り過ぎ、その先に友人の後ろ姿を見いだしても、にわかに信じられないほどだった。
タイミングが少しずれていたら、友人か、私か、どちらかが轢かれていたかもしれない。
その後すぐ、その踏切に遮断機がついた。私たちのせいか。
           
今になるとアホらしいが、とある事件本を読んで、自分も犯罪グループに殺されるという妄想で死にそうになる。
内容があまりに現実的だったもので……。
死が近づくと世界の色が変わってみえるものだ。
なかなかの体験だったと思われる。

現代はそうそう簡単に死が済まない。
力尽き、そこで地に還る。なんと贅沢なことか。
ちょっと前、ノラ猫が車に轢かれて死んでいた。
轢かれて死んだちょうどそこがゴミ捨て場で、
なんとも皮肉なものだった。

Shi2

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